最後のフェーズは、3) Reposition + 4) Strengthenです。

キャッシュフローを安定化させ、会社の規模を適正化し、正しい課題設定をした後に、事業の方向性を修正し、再成長軌道にのせていく必要があります。

3) Repositionとは、会社の立ち居地、勝負する領域、戦略を転換すること

そして、

4) Strengthenとは、新しい領域を強化し、競争力をつけ、結果を出すことを意味します。

ここでは、少し古いですが、IBMの再建を題材に、当時CEOのルー・ガースナーが何をしたかをみてみたいと思います。彼は1993年のCEO就任後、大幅なリストラを断行し、コスト削減に注力したのですが、以下はその後のお話。

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 まず、何よりも重大であったのは、全社に「顧客志向」を浸透させることであった。ガースナー自身、まず自分の時間の6割方を顧客と共に過ごした。そして、「顧客抱きしめ作戦」を自ら提案し、幹部50人に3ヶ月で最重要顧客を最低5か所訪問させ、その要望・不満に適切な対策をとるよう指示した。幹部たちには報告書の提出を義務付け、ガースナーが本当に報告書を読んでいることが分かると、社内の動きが急速に良くなり、反応も敏感になったという。

また、主要大企業75社のCIO(Chief Information Officer=最高情報責任者)が集まった顧客フォーラムで、CIOがメインフレームにおけるIBMの顧客を軽視したビジネスとその価格に不満を持っていることを知ると、ガースナーは翌日には大幅な値下げを約束した。競合の製品はもっと安かったためだ。短期的には売上は落ち込んだが、結果的に大きく好転し、あらゆる計画よりもIBMを救うことになった。また、世界的に顧客優先で仕事ができるよう、地球規模でIBMを産業分野別に12のチームに分け、目標共有と部門間交流を促した。

さらに、ガースナーは全従業員に対し、結果責任の概念を浸透させるため、新しい人事制度を採用した。全社員が毎年、次年度に向けての目標(職務における公約)を、勝利(win)・実行(execute)・チーム(team)の3つの領域においてまとめて、計画書を出すことを求められた。ガースナー自身のポリシーである、実行・チームワーク・結果を最大限社員に理解させる最良の方法であった。

 最も頻繁に、かつ、意識的に行われたことは、社員に向けての電子メールであろう。ある時ガースナーは、IBMにインターン中の学生に「IBMはやはり大企業。もっと小さい会社に勤めたほうが私のアイデアをスピーディーに市場に届けられるのではないか」と率直な質問を投げかけられた。その2日後、ガースナーは社内の全部長に一通の電子メールを送る。会長はメールで学生の質問に触れ、「この学生のような突飛(とっぴ)なアイデアを受け入れ、採用するような土壌こそ重要だ。そして、こうした聡明な学生に『IBMが最も働きやすい職場だ』と感じてもらって初めて、我々に成功が訪れる」と力説した。このように社内メールを頻繁かつ、効果的に活用することで、ガースナーは自身のビジョンを明確に伝え続けたのである。

 このように、自ら行動し実践し続けることによって、IBMは結果を出し続けた。ガースナー就任後5年で60億ドルの利益を上げるまで復活し、2001年度の売上高は859億ドル、純利益が77億ドル、社員数32万人と成長を続けた。ルー・ガースナーは2002年12月末をもってIBMを引退し、後任はIBMの生え抜きサム・パルミサーノが会長兼CEOに就任した。

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と、ガースナーは見事にIBMのターンアラウンドを成功させたわけですが、そんな美しい話ばかりではなく、ターンアラウンドの世界では、当然失敗も起こりうるわけです。

担当教授のGaryは、ターンアラウンドマネジャーとしての実績を積み、その成果を認められ1995年にポラロイドカメラで世界的に有名なポラロイド社のCEOに招かれます。

彼は、就任早々全社の15%の人員削減を行い、アナログからデジタルへの方向転換を行い、ホームランを打つのではなく、HITを積み重ねていくようR&D方針の転換も実施しました。

一時、売上・利益とも回復し、株価も上がるのですが、海外マーケットでの苦戦、ITバブル、911を受け、最終的に破産法の申請(Chapter 11)を行い、CEOを辞任しました。

優秀な経営者が、正しい方針・戦略を打ち出しても、会社を救えるとは限らないのです。

ターンアラウンドに、光あれば、影もありです。

※当時の記事はこちら